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日本のバレエを育ててきた人たち 

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こんにちは。5月だというのに暑いですね。でも今日は、カラッとしていて爽やかです。

昨日、私は以前習っていたバレエの先生の米寿のお祝い会に行ってきました。天野陽子先生です。
天野先生は谷桃子バレエ団のご出身で、ちょうど第2次世界大戦が終わった頃、バレエ団に入団されたそうです。当時は練習する場所もなく、ボクシングのリングで練習したこというから驚きます。フィンガーピルエット(男性の指に指を絡ませ回転)はボクシングのパンチングボール(?)のフックを使ったとか(笑)。
今のように、トウシューズも種類はおろか、タイツや練習着などモノのない時代、本当に大切に大切に道具を使って来られたようです。
息子さんは現在、スターダンサーズバレエ団の振付家としてご活躍の鈴木稔先生ですが、稔先生がお腹にいる時(妊娠4か月)、危険を覚悟で舞台に立ったということで、昨日の稔先生のご挨拶でも、「私のバレエ歴は実年齢+1年」とおっしゃって、笑いを誘っていました。
その稔先生が幼い時、稔先生を日本に残し、船でロシアに渡り、ワガノワのバレエを学びに行かれています。その時の船旅のお話や、舞台でのお話やご経験、ここでは語り切れないほど魅力に溢れています。

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当時、一緒に谷バレエ団でご活躍されていた、石井清子先生(現東京シティバレエ団顧問)がご挨拶で「谷先生の代役で舞台に出る時、天野先生と一緒に毎回、失敗しないかドキドキしていた。こんなに若いうちから頻繁にドキドキしていたら、あまり長生きできないのではないかと語り合っていたが、気が付いたら米寿です」なんて、おっしゃっていました。昨日のお祝い会は総勢80名以上のご出席、当時の谷バレエ団で一緒にご活躍された石井先生、潮田先生などもご出席され、にぎやかな会でした。私も昔一緒にレッスンを重ねてきた友人や先生にも久しぶりに会え、楽しく過ごさせていただきました。

今でこそ、バレエをお稽古事として習う環境はとても恵まれています。でも、天野先生や石井先生など、日本バレエの草分け的な方たちのお話を聞くにつけ、当時の方たちのパワーは私の想像を超えるもので、いつも感心?感動?してしまいます。そして米寿を迎えられてもなお、背筋をピシッと伸ばす天野先生は永遠に私のあこがれの女性です。

お開きの時、「かおりちゃん、また飲みに行きましょう♪」と先生におっしゃっていただきました。はい、もちろんです!そして、この度は本当におめでとうございます。

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そうそう、天野先生は1951年、岡田茉莉子主演の映画「舞姫」に、岡田茉莉子さんの吹替役でバレエを披露されています。10年以上前ですが小さなシアターで上映されていたのを見に行ったことがあるので、もしかしたら今も時々、上映しているのかもしれませんね。機会があったら見てください。

ところでピラティス、普及のきっかけはアメリカでバレエダンサーに認められたことでした。バレエは見た目の華麗さに比べ、過酷で体への負担は相当なものです。バレエをやっている方なら分かると思いますが、オフシーズン(お正月など)の方が身体が整っていたりします。バレエは身体にとってリスクであるとも言えるくらいです。ピラティスは体幹を鍛えるだけでなく、ニュートラルを取り戻していく上でも有効です。アフターケアをしながら、ずっと踊っていけるといいなーと思うこの頃です。